カルマ落とし

月蝕カルマ水を売り始めたのは姉さんだった。
姉さんは大きな団地の右端から左端まで、一軒一軒の呼び鈴を押してまわった。運良くドアを開けてもらえたときには、「水はいりませんか?」と、とびきりの笑顔できりだすのだった。
「──いえいえ、浄水機の押し売りなんかじゃないんですよ。わるいものを落とすとくべつな水を売っているんです。洗剤みたいにおちるんです。TVの通信販売でドイツのカーワックスの実演をしているでしょ? あれくらいおちるんですよ。もう、ごそーっ、て。大きな声では言えませんけど、月蝕カルマ水っていうんです。カルマってご存知ですか? 詳しくお話ししたいのですけれど……あア、暑いですね。まったく、もう、ねえ。暑くてたまらない。ねえ、よろしかったらおうちにあげていただけませんか?」

水がたくさん売れた日には、姉さんは、僕と理有をファミリーレストランに連れていってくれた。
彼女は店員に対して女王のようにふるまった。みんなが僕たらを怪訝そうに見た。僕は恥ずかしくてしかたがなかった。肘でつついて姉さんやめなよ、とたしなめたが、姉さんは決してやめようはせず、女王のように僕を叱るのだった。

「このひとのためじゃなぃ! ねえ、わかるでしょう、あなた? あなたよ、あなたに言ってるの。あなたもいつまでも女給みたぃな仕事やってる場合じゃないのよ。もっと世の中の役に立つ仕事をしなくちゃあ、なんのために生まれたのかわからないもの。まったく、もう、ねえ!」

× × ×

姉さんが月蝕カルマ水を売り始めたのは、両親が死んでからだ。
父と母は、時速900キロのスピードでインド洋につっこんで死んだ。結婚30周年、初めての海外旅行中の飛行機事故であった。航空会社がよこした小さな箱には、遺骨の代わりなのであろう、簿くて平たい長方形の御影石が入っていた。若き日の父と母が最初のデートで観た映画は『2001年宇宙の旅』だった。
そういうものだ。

× × ×

葬式。
僕は弔問客と親戚の対応に忙殺されて、悲しむヒマさえなかった。
叔父も叔母も僕らを引き取ることを躊躇しているようにみえた。
僕らは遺伝子学的には彼らの一族ではなかった──と事態をくくるのはフェアではないかもしれない。僕も理有も姉さんもそのころはまだ学生だった。学生をいきなり三人も養うというのは、赤ちゃんを三人生むのとはわけが違う。そこには人生計画の洗い直しと、価値観の再構成が存在する。やわなことではない。
とにかく──僕は忙しかった。
理有は部屋にこもって泣くだけだった。姉さんは遺影の前に。ぺたんと座って、しらけた表惰でずっと経済新聞を読んでいた。株式市場の、よくわからない数字や記号がずらり並んだぺージをひたすら睨んでいた。やがて姉さんは顔を上げて、誰に言うでもなく、ぽつりと言ったのだった。

「わかった。なにもかも、わかった」

× × ×

僕は、姉さんの奇妙な仕事が嫌いだった。
もちろん、姉さんがインチキな水を売って僕たちを養ってくれた事には感謝している。けれども、姉さんが持つと自称する『ちから』なんて、一度たりとも信じたことはなかった。
逃避。すべてが逃避の諸相であることを、僕は理解していた。
みな、怖いのだ
人生がリアルであることが恐ろしくてしかたがないのだ。なにか夢みたいな不条理に──アンチリアルに依存したいのだ。たとえばカミサマに。たとえば月蝕カルマ水に。姉さんは弱者たちの人柱であり、姉もまた同様に弱者であった。つまりはそういうことだ。

× × ×

姉さんが、近所のディスカウントストアで6本600円の『自然名水ぺットボトル』を箱買いする姿を、晴れた日の夕方によく目にしたものだ。僕に気づくと、彼女は照れくさそうに、そして少し哀しげに笑うのだった。
「真ちゃん、運ぶの手伝ってヨ?」

× × ×

僕はいま、理有と僕自身を養うために、月蝕カルマ水を売り歩いている。綺麗な小瓶にディスカウントストアの水を詰めて、黒いアタッシェケースに詰めて歩く。宣伝はしない。口コミで商売をする。呼ばれればF県まで車で向かう。話を聞く。三万円で月蝕カルマ水を売る。ただの水だ。それでも何人かは「救われた」と涙を流す。今日の依頼人みたいに、僕と寝ようとさえする。
姉さんは死に、理有は流産し、僕は水を売り、それでも世界は止まらず、人生は流れる。

× × ×

姉さんはよく、「カミサマ」について語ったものだった。

「カミサマは空の上にはいないのよ。あれはウソね。カミサマ空の上にいると語る宗教、全部二セモノね。ふふふ。カミサマは私たちの中にいるのよ。姉さんの場合はそうだなあ、ドルチェがカミサマなのね。ドルチェ覚えてる? 死んじゃった私たちのアメリカンショートへアー。お母さんとお父さんが買ってくれたドルチェ。肺炎で死んだ。でも私のカミサマになったのよ。まったく、もう、人生ってわからないわねえ。ところで、ねえ。ところで真ちゃんのカミサマは、なあに?」

× × ×

姉さんの残した遺書には、こう書き残されていた。

「わたしは、カミサマをにくむ」

× × ×

カルマ落としを終えて外に出ると、あたりはすっかり夜に飲み込まれていた。
吹く風はしっとりと雨の気配を合んで、濡れた和紙みたいに肌に張り付いた。三時間締め切ってあった車内はちょっとした移動式サウナに化けてぃる。僕はエンジンをかけ、そしてクーラーがついに死んでしまったことを知る。
やれやれ。あらゆるものが組織的ないやがらせで僕をうんざりさせようとしているように思える。

駅まで車を走らせ、依頼人に紹介された店を探す。草餅がうまいらしい。この町の名物だという。
「急がないとお店、閉まっちゃいますよ」
彼女は言った。
「東京と違ってここ、夜、早いですから」

小さな商店街を歩く。
端から端まで三分もあれば足りる典型的な地方の駅前商店街だ。
八百屋。精肉店。文具店。洋品店。家電ショッブ。酒屋。自転車とバイクを売る店。シャッターを下ろしている最中の店もあれば、すでに下ろし終えた店もある。
どの店も宿命的な倦怠感を漂わせてぃる。鈍いあきらめのような空気が地層みたいに積もっている。この商店街は10年前もこんな様子だったし、おそらくは10年後もこんな様子なのだ。そんな予感。停滞がもたらす淀み。それは、どこにも行けないのだという閉塞感だ。
僕以外、ただひとリの買い物客の姿もない。
草餅を売っている店は見つからない。見落としてしまったのだろうか? 商店街の端に座っていた犬が、僕の顔を見てのっそりと立ち上がり、溶けるように暗闇へと消えていく。そうして商店街は完全に営業を終えたのだった。
がらんとした駅前通り商店街に、僕はひとり取り残されてしまったのだった。
まるで疫病神にでもなった気分だった。僕が来る。シャッターが閉まる。僕が去る。シャッターが上がる……。
「歓迎・ふれあい通り商店街」と記された街灯が、僕の影をアスファルトに明滅させている。ふと、思った。街灯が消えたら、僕自身も消えて無くなってしまうのではないか? 見上げれば、街灯は神経症的な音を立てて明るくなったり暗くなったりをくりかえしている。羽虫やら蛾やらのあまり気持ちのよくない虫が群れて踊っている。そしてなんの前触れもなく、大きな感情の波が僕の心をばらばらにする。
膝から下が木っ端と砕けてしまった気分。
立っていることすらままならない。
よるよろと道の端に腰を下ろす。
膝と膝のあいだに頭をうずめる。
息を殺す。
どうしようもなく寒くて、哀しくて、怖い。
こんなことになんの意味がある?
僕は思う。こんなことになんの価値があるというのだ。 僕は世界の果ての詐欺師だ。誰とも繋がっていない。どことも繋がっていない。
いっそ、電脳カルトにでもはまってしまえたらと思う。赤の他人にカルマを背負わせて、永遠の自己満足に浸って死ねればと思う。
でも、それほどの馬鹿じゃない。
「人生を変える101の方法」「心を明るくする30の提案」「誰もが知っているのに実行していない69の真実」──そんなものに啓蒙されるほど、チープにはできていないのだ。僕は知っている。そんなものでは世界は変わらない。月蝕カルマ水が姉さん自身を救えなかったように。僕はそれを知っているのだ。
なのに──
なのに僕は、どうすれば世界を革命できるかを知らない。
弱さに浸れるほど弱くはなく、強く生きるほど強くなく。
僕はどこにも行けない。行けるとしたって、それはロストハイウエイだけだ。哀れなライリー・Rが行くしかなかった場所。内的地獄。あるいは外的地獄。すべては子め定められている。だとしたら、なあ、ヤング・ディラン。こんなことになんの意味があるというんだい?

大丈夫だ。
大丈夫だ、と自分に言い聞かせる。
いつものことじゃないか。
これはただの一時的な感情の混乱で、やがて過ざ去っていくものなのだ。いつまでも僕を苦しめることはできないし、捉え続けることもできない。ただじっと身を固めて、うねりが去るのを待てばいいのだ。
ものごとはまさにそのとおりに起こる。
数分後、僕はすっかリ自分を(あるいは自分であると信じているものを)とりもどしている。残っているのはちょっとした疲労と、気持ちの悪い汗だけだ。オーケイ。僕は十分にクールで、ポップだ。
オーケイ。

僕は死んでしまった商店街を引き返し、車に命の炎を点す。
そして帰り道、僕は時速90キロで水上夏樹を撥ねたのだった。



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